窮屈な価値観から解放され、夢へと大きく羽ばたく

笑顔が多く表情豊かなミユさんは現在外資系企業のITコンサルタント。自分の考えを持ち、的確に伝えようと時折言葉を選ぶ様子は、利発さと誠実さに溢れている。全ての物事に全力で取り組むからこそ、画一的で前例主義的な日本の学校生活はミユさんにとって困難な時があった。留学先で本来の積極性が再び開花し、リーダー的存在へと成長していった9年の軌跡とは。

中学2年生 (2011年 夏・2週間)/オーストラリア・タウンズビル(クィーンズランド州)現地校
初めての留学で豊かな生活に憧れる

最初の短期留学は2011年中学2年生の夏休み。留学ヘルパーのプログラムでオーストラリアのタウンズビルの現地校に2週間通った。数百人の生徒に留学生は少なく、日本人は2人のみ。学校生活は伸び伸びと心地が良く、大きな影響を受けた。

オーストラリア短期留学のきっかけは

幼い頃から通っていた語学学校の短期留学のプログラムが、鳥インフルエンザの影響で中止になってしまい、留学できるところを探していて留学ヘルパーと出会いました。英語はずっと勉強していましたが、それまでは海外旅行すら行ったことがなく日本から出たのも初めてで、一人で留学したので誰も知っている人がいなくて。初日はすごく緊張して知っているはずの簡単な文章すら出なくて、ただひたすら片言と表情で伝えました。思いだした言葉をとにかくアウトプットするようにしたら、少しずつ英語が出てくるようになりました。ただ、2週間だったので片言のままで終わってしまいました。

ホームステイ先はどうでしたか

ホストペアレンツと子供さんが3人、私と同学年のシスター、小学生のシスターとブラザーが住んでいました。さらに、大学の寮で暮らしているブラザーが1人、時々行き来するおじいさま、おばあさまがいらっしゃる大きなご家庭でした。子供たち、特に同い年の子は私と似ている部分があり、勉強にも力を入れながら沢山の課外活動をして多忙なスケジュールをこなしていました。そんな中でも、放課後や週末に友達を家に呼んだり、家族全員で出かけたり、家族ぐるみのお付き合いがある家庭へ遊びに行ったりと、お世話になったたった2週間だけを切り抜いても人生を楽しく過ごす時間を大切にしていました。充実しつつも心に余裕がある豊かな生活に、もの凄く憧れました。これを実現できているのは、学校の制度やお世話になった家庭の事情など色々な要因があるとは思いますが、日本で見てきた日常生活と比べ、将来と同じぐらい「今」を大切にすることに重きを置く人が多いように感じられました。このような価値観が、現地で出会った方々の暖かくフレンドリーな気質に繋がっていたのかなと思います。

学校で印象に残ったことは

生徒の雰囲気や先生方の言葉が自分の中にすっと入ってくることが多かったので、居心地が良かったです。具体的に何がというわけではないのですが、何気ない会話でも「そうだね」と本心から言えました。「自分らしくいられるな」と純粋に感じました。多様性に対する「みんな違ってもいい」という考え方は、現地で出会った環境の方が居心地が良かったです。でも「何が普通か」という価値観は、どんな国のどんな環境でもやっぱりあります。ただ、その「普通とされている基準」がたまたま、日本よりも現地の方が私の基準に近かったのかなと思います。ホームステイ先や学校での経験がすごく楽しくインパクトがあって、外国の学校生活に興味を持ち始めました。

中学2年生 (2011年 秋)
充実した生活の中、突然の体調悪化

帰国後も中学校生活に加え、放課後も複数のスケジュールで埋まるほど多くの活動に打ち込む日々。
2学期も終ろうとするそんなある日、学校で倒れてしまう。通院もしたが、それ以降、起き上がれないほど体調が悪化したり、少し回復したりの波を繰り返した。

中学生活は沢山のことに挑戦されていたようですね

地元の公立中学に通い、全国大会で上位入賞常連の合唱部に所属して、放課後はもちろん夏休みもほぼ毎日練習がありました。それ以外にクラシックバレエを週3日、中2までピアノも週1日習っていました。学習塾は週3日、英会話は週1日で、さらに父とも一緒に英検の勉強をしていました。英語スピーチコンテストにも学校から出場しました。合唱部とバレエは自分の意思で始めました。英語とピアノは物心がつく頃から習っていましたが、英語という強みが自信に繋がって、自分の中でも大事で頑張りたいところでもあったし、何か一つくらい楽器はできなければ思っていましたから、辞めたいと言うほどでもなかったです。

体調が悪くなってしまったそうですが

オーストラリアから帰国して夏休みが終わり、新学期が始まっていつもの生活に戻りましたが、2学期が終わる頃に学校で倒れてしまって。色んな症状があったのですが、朝ベッドから起き上がれなかったり、授業中に気絶してしまったこともありました。一番ひどい時は普通に立ち上がれなかったんです。両親も心配して、色々な病院に行きました。検査中に立って心電図を測るのですけど、その間も立っていられなくて倒れ込んでしまったり。処方された薬が合わなかったこともありました。今、振り返ってみると病気というより、成長期でホルモンバランスをひどく崩していたのかもしれません。

そんな中でも学校に通う努力をされていましたね

3限目だけ保健室で休ませてもらえばなんとか授業を受けられたり、直接保健室に登校して勉強していたこともありますが、体調が本当に悪い時は保健室に行くのも難しいんです。回復したり悪くなったりと体調にも波がありました。それに、体調を壊して欠席していた状態から学校に復帰するのは、何があっても通い続けるということよりも何倍もハードルが高いことでした。

中学3年生 (2012年 春)
ニュージーランドの高校入学を視野に、1カ月の短期留学
内容の濃い英語授業と魅力的なアクティビティを体験

ミユさんが中学校生活に適応したくても体調の波に苦しんでいる姿を、側で見守っていたご両親が進路について留学という一つの選択肢を提案した。治安やサポート体制、費用など様々な条件で絞り込んだ結果、最有力の留学先はニュージーランド。まずは1カ月の短期留学で様子を見ることになった。

中3の最初にニュージーランドへ短期留学した理由は

中2の終わりに学校へ復帰したのですが、中3の初めにまた体調が悪化しました。登校はもちろん習い事や塾通いなども全部出来なくなってしまって、通信の教材などで勉強をしたり、気分転換に英語の海外ドラマを見て過ごしていました。しばらくして少し回復して登校し始めた時に、「これからどうしよう」と色々考えたんです。受験勉強もしていましたが、体調を崩していた期間に成績も随分落ちてしまっていたので、推薦入学も、普通受験もなかなか厳しかったんですね。もちろん日本にも色々な学校がありますから、見学に行ったりもしたのですが、あまりしっくりこなかった。そんな中で、両親から「海外の高校も見たら」という話が出たので、「このチャンスを逃すわけにはいかない」という気持ちになりました。その時は体調が落ち着いていたので、「今のうち」という気持ちが大きかったです。またあんな体調に戻ってしまったら嫌だなと。アメリカや楽しかったオーストラリアに行きたい気持ちもありましたが、オーストラリアは月謝がかなり高く、両親がアメリカの治安を心配して、ニュージーランドの高校へ長期留学することを視野に、語学学校に1カ月短期留学しました。

ニュージーランドの1カ月はどうでしたか

語学学校ですから思ったより日本人ばかりで、8割が日本人、2割がサウジアラビアの生徒でした。現地校の様子がわからず残念な気持ちもありましたが、英語の授業は日本では学んでこなかったことも教えてもらえたので、非常に勉強になりました。さらにマリンスポーツや乗馬などのアクティビティのプログラムが色々とあり、ニュージーランドの自然に触れ、素敵な国だなと思いました。下校後に具合が悪くなったこともありましたが、なんとか通えました。ホストファミリーにも事前に体調については話してありましたから、何かあれば相談しようと思っていました。

英語力はどうでしたか

全5クラスのうち下から2番目のクラスでしたが、なぜか会話は私が一番出来て、周りからも「すごく話せるね」と言われました。ボキャブラリーが少なくてテストの点数は取れなかったのですが、それを組み合わせてコニュニケーションを取る力は長けていたようです。留学前にガリ勉したわけでもないのになぜだろうと思い起こすと、英語ドラマのおかげではないかと思い至りました。体調が悪かった時に、どうしていいかわからなくてとりあえず現実逃避がしたくて、元々好きだった海外映画やドラマをひたすら見ていました。息抜きに友達と遊びに行くことも出来ない状態だったので、気を紛らわすために。勉強以外にやれることはそれくらいしかなくて、むしろ「さぼっちゃった」という感覚でした。「英語学習のために」とは全く考えていませんでしたが、同じ作品でも、英語の作品を字幕つきや無しだったり、日本語吹き替えを英語字幕で見たりしていて、それがすごく良かったようです。

滞在先はいかがでしたか

最初のホームステイ先は、マザーと子供2人のご家庭でした。マザーはすごく優しかったのですが、お一人で子育てされていたので、働いていてほとんど家にいなくて。私と同じ年齢の姉と2歳下の弟が家にいましたが放っておかれて。おまけに猫4匹と犬1匹を飼っていて猫アレルギーとハウスダストアレルギーを発症してしまい、1週間でホームステイ先を変えてもらいました。次のファミリーは素敵な家族でした。ご夫婦と小学生くらいの子供3人で山奥に住んでいて、マザーはたまにパートで働くけど、基本的には子育てに専念していました。日本のことも色々興味を持って聞いてくれるし、私は一人っ子で小さい子には不慣れだったのですが、楽しく過ごせました。

短期留学から帰ってきた後はどうでしたか

ごく短期間毎日登校出来ていた時もあり、放課後に英語補助の先生に見ていただいて、なんとか英語のスピーチコンテストにも参加しました。初めて挑戦した中2の時はすごく悔しい結果でしたから、そのままに出来なくて。でもその後にまた行けない波がありました。体調は少し良くなっていたものの、自分としては登校できる状態までには回復しきれていませんでしたが、どんなに嫌なことがあっても、それを理由にして休んでいたら全く行けなくなってしまうので、余程体調が悪くない限り行くしかありませんでした。両親の理解にも波があったかもしれません。体調の良い時にがんばり過ぎず、きちんとコントロールしていればもう少し良くなっていたのかもしれませんが、休めば良くなる感じでもなかったのです。週3日くらいの登校で、合唱部にも行けず、たとえ行けても見学になったりで、3年生なのに大会を1年生と一緒に見学するなど辛い時がありました。でもそれでも学校で友達と言えるのはほとんどが部活の人たちで、居場所の一つとしてやりがいをもっていた活動でした。選べるのなら部活だけでも行きたいくらいでしたが、でももし「部活だけ来てもいいよ」と言われても、自分で「それはおかしい」と考えてしまって行かれなかったと思います。

2013年 4月
中学卒業後、ニュージーランドで高校準備コースへ入学
バレエ・ダンスなどの課外活動にも積極的に励む

ミユさんが進学したエバコナ語学学校・高校準備コースは、8カ月間で語学学校での英語習得と、ニュージーランド文部省認定NCEAレベル1の高校1年の教科単位を取得する。それが高1の単位となるため、いきなり現地校の2年生に編入し、2年8カ月で卒業することが可能。通常必要な語学力向上のための事前留学が不要で、日本の高校に進学する場合と同年度にニュージーランドの現地校を卒業出来る。運営者は、日本から家族で移住し、日本とニュージーランド両国で教師経験のある女性が運営しており、留学ヘルパーとの連携もスムーズできめ細やかなサポートが受けられる。

エバコナ高校準備コースの学習内容は

2013年3月に中学校を卒業後、4月1日に入学しました。現地の学校は1月にスタートするので、12月までの8か月間(夏休みを除く)学びます。日本で勉強を続けていたので、一番上の英語レベルのクラスになりました。午前中は語学学校で高校準備コース以外の生徒も一緒に英語を学び、午後は2時間現地の高校の授業を受けます。現地の高校は単位制で希望のレベルの授業を全て選択出来ますが、高校準備コースは選択ができません。英語力がそれほど得意でない留学生向けのカリキュラムですから、高校を卒業するという意味ではそれで充分だと思います。ただ、個人的にはもっとレベルの高い内容が受けられれば、高校卒業時にもっと上位の成績が残せたかもしれないという悔しさはありますね。語学学校の英語授業は非常に充実していましたから、出来る限り吸収して英語力に自信をつけようと、モチベーションを高く勉強していました。

学校生活はどうでしたか

クラス定員10人の全員が日本人でした。そのため学校の規則で日本語を話すとペナルティがありましたが、英語で話すと違和感を持たれてしまうような雰囲気でした。その分、課外活動はニュージーランドの高校生に交じって行いました。元々、バレエとダンスが出来ることを留学の条件にしていたんです。バレエは中2で辞めてしまっていて、絶対再開すると決めていたので、すぐに語学学校スタッフに紹介していただき、現地に到着して1週間後には始めていました。ジャズダンスもずっとやりたかったので、語学学校に隣接する現地校の先生に、自分でお願いして入れてもらいました。さらに、南半球で盛んなネットボールというスポーツチームも語学学校のスタッフにお願いして始めました。体調に関してはたまに崩すこともありましたが、もうその時はかなり元気になっていました。

ホームステイ先での生活は

最初の1カ月は短期留学の時と同じご家庭にお世話になりましたが、学校から家が遠く送り迎えがあるため長期受け入れが厳しく、学校から徒歩圏内のホームステイ先を紹介していただき、準備コースの間お世話になりました。ホテルとレストランを経営しているご夫婦と7歳の女の子と4歳の男の子がいる素敵なお宅でした。ただ、長く過ごすうち、私の語学力が実力以上に認識されていて行き違いがあったり、娘さんが懐いてくれすぎて、困ったこともありました。

2014年 1月
ハウラキ・プレーンズカレッジ(高校)2年生に編入
様々なことに挑戦しリーダーとして活躍

面接を経て、高校準備コースとは別の地域にある現地の高校2年生に編入。周囲の人との違いを否定された過去の経験から、無意識のうちに自分の個性を抑え込んでいたが、積極的に行動する生徒たちの姿を見て本来の性格を取り戻していき、インターナショナルリーダーとなるまでに。

準備コース終了後、高校 2年生に編入したからの生活はどうでしたか

新学年が始まる2014年1月、ハウラキ・プレーンズカレッジの2年に編入しました。ニュージーランドの学校は科目ごとに自分の実力にあった単位を選ぶため、学年を落として授業を取れますが、全ての科目で学年を落とすことなく受けられました。難易度は科目によりますが、ついていくのに精いっぱいのものも中にはありました。でもわからないことは先生に聞いて勉強出来ましたから、きちんと勉強していれば少なくとも単位はとれて卒業できます。日本人は2年生の時は私以外に1人、3年生の時はいませんでした。今はウーバーなどがありますけど、電車もなく移動手段がないので、たまたま家の近くに学校やスーパーマーケットがない限り何も出来ません。課外活動をするにも毎回誰かに送迎を頼まなくてはいけなかったので、本当に色々な人にお世話になりました。そのとき協力してくださった方々とかなり親密な関係になったことが、特に印象に残っています。人に頼ることが苦手な性格でしたが、それを克服できたのはこの経験のお陰かなと思っています。ですから、休日は家で勉強やダンスの準備をしたり、ステイファミリーと過ごすか、スカイプなどをしていましたね。時々バースディパーティに誘ってもらったり、友達の家族旅行に連れて行ってもらったこともありました。その時の友達とは今でもお付き合いがあります。

日本の学校に感じたような違和感はなかったですか

日本で感じていた違和感はほとんどなかったです。もちろん一緒だなと思う点もありましたけど。高校の校則は厳しかったのですが、生徒の自由な発想を崩さず、自分たちでちゃんと考えて行動できるような、そこを縛らない形での厳しさでした。「これはだめ、あれはだめ」という日本の校則とは違います。日本では既に用意されている授業や部活に、居場所を見つけて自分を合わせていくやり方でしか学校生活を送れませんでした。でも現地では「ダンス部がないけどメンバーを集めて大会に出たい」と芸術方面担当の先生に相談したら、「出て見よう」と自由にオーディションを受けさせてくれました。学校のカリキュラムには無い授業の単位を取るために他校に受けに行っている子や、自習の時間を使って通信で希望科目の単位を取っている学生もいました。日本で通っていた中学校でも、生徒会で校則を変えたいと活動をしている生徒がいましたけど、結局「それは難しいから」とダメになってしまった。その環境を受け入れて、はみ出さずにがんばることを美徳とする風潮があったのに対して、ニュージーランドでは積極的に動いている子の方が、むしろ評価されます。その方が楽しいし、居心地がいいし、私自身がそういう子たちを見ていて「かっこいいな、自分もそうなりたいな」と思えました。

ホームステイ先はどうでしたか

高校2年生の時に1年近くお世話になったのは一人暮らしの女性です。2人きりだったので、毎晩帰宅する度にお互いその日に起きたことを話したり、様々なことを共有し、距離が近くなりました。クラシックバレエとコンテンポラリーダンスのレッスンに通っていたのですが、その送迎などに快く協力して下さるようになり、半年後にはレッスンの様子を見に来たり、いつの間にかバレエの先生とも話すようになっていたりと、私のダンスの活動を凄くサポートして下さいました。教室で表彰があった際には自分の子供のことのように喜んで下さったのも凄く嬉しかったです。その後もいくつかのホームステイ先に滞在し、オーストラリアから数えると10ほどのご家庭にお世話になりました。皆さん素敵なご家族でしたが、長く一緒に生活すると家族の一員として、家庭内の様々なことに直面したりすることになり、大変なこともありましたが、それも今振り返ると得難い経験でした。

2014年 4月、帰国し学習院大学へ進学
日本で外資系企業に就職

日本の大学に進学した理由は

一番は費用の問題ですが、日本の大学生活にも興味がありましたし、自分が海外で得たものを日本で活かしていくのなら、一度日本に拠点を置いてみるのもいいかなと思いました。受験対策としては高校3年時には現地校の長期休みに日本へ帰国して、帰国子女向けの塾に通いました。

学習院大学に入学されましたが、日本の生活に違和感はなかったですか

大学生ともなると、本当に色んな価値観や目標を持った人と接するので、中学生の頃に感じていたような違和感はなくなっていました。学業に加えて、アルバイトやダンスなど様々な活動に打ち込む生活を送るうちに、日本にもちゃんと自分のやりたいことはあるし、「自分の居場所はある」と感じることが出来るようになりました。ですから就職に関してもまずは日本で頑張ろうと思いました。色々なドラマはありましたが、最終的には今の会社に就職することができました。

現在のお仕事は

外資系のITコンサルティング会社でシステム保守運用の仕事をしています。
2020年4月入社で現在2年目ですが、コロナの影響で入社式からオンラインになり、研修のテキストとパソコンを受け取った時以外、オフィスに行ったことがありません。その時も少人数に分けて出社し、すぐに帰らされたほどでした。同期とは研修時にグループワークをすることが多かったので、オンラインとはいえ、深い話が出来るようになりました。5カ月の研修後、OJTを経て10月から本配属になり、現場に入って半年になります。現場に入ってからも初日から全てオンラインのやり取りです。もともと海外のメンバーとのやりとりが多かったため、あまり影響がなかったみたいです。

将来の夢はありますか

社会人になった今もダンスを続けています。将来的にはダンスと留学経験で養ったスキルを組み合わせて活動していきたいです。日本の素晴らしいダンサーを世界中に広めたいですし、日本人も外国のダンスを身近に学んでもらいたいのです。大きな、スケールですがダンスだけでなく世界中の芸術にもっと気軽に触れることができたら私が悩んでいたような「価値観が固定されすぎてしまう」というような部分の解決にも繋がっていくんじゃないかなと考えています。

留学を迷っている人にメッセージを

すごく勇気のいることだと思いますが、将来やりたいことが決まっている子たちにとっては、目標に向かって勉強していく中で日本とはまた違った環境で勉強するのは、絶対海外でしか得られないことがあります。また、将来まだやりたいことが決まっていなかったとしても、それを見つけるヒントを探しに行ける手段でもあります。ぜひチャレンジしてみて欲しいと思います。もし留学するのであれば、ぜひ人と違ってもいいから、自分なりに目標を持ってもらいたいですね。「現地に友達を作る」でもいいし、「語学力をアップしたい」でも、「スポーツをがんばりたい」でも何でもいいのですけど。留学は誰でもできるものではないので、目的意識を持って、今後に繋げられるように充実した生活を送ってほしいと思います。

留学生活を振り返って

留学ヘルパーを利用した感想をお聞かせください

留学エージェントには、語学留学を専門に紹介しているところ、スポーツ留学に特化したところ、学生専門等色々な会社がありますが、留学ヘルパーは多種多様なケースを経験されていることを活かして、あらゆる観点から留学する本人に一番合ったプランを提案して下さるのが魅力だと感じました。

私のオーストラリア短期留学に際しての希望は4つでした。
 ・日本人の極力いない現地校
 ・初めての海外なので治安が良い場所
 ・ホストファミリーに同世代がいると嬉しい
 ・クラシックバレエのレッスンを受けたい

希望を全て叶えて頂きました。必ずしも前例のどれかに100%当てはめようとせず、留学する本人の細かな希望や条件までを考慮して、実現できる最善の方法を一緒に考えて下さるのがとても有難かったです。留学中には、現地で何かトラブルがあった際に相談に乗っていただいたり、時には留学先の会社との間に入って解決へ導いて下さったのでとても助かりました。動物アレルギーがあるのですが、手違いで猫のいる家庭になってしまった時も、すぐに対処いただきました。留学生活をする上で、自分で行動して必要なコミュニケーションを取り、問題を解決する力はすごく重要で、そこを一踏ん張りすることはとても価値のある経験だと思います。とはいえ、近くに親がいない高校生というのはなかなか弱い立場で、どうしても1人では応じて貰えないこともあります。一人で解決できなかったことが留学生活そのものに、時には健康や身の安全等それ以上の障害を引き起こしてしまうこともあるので、私のことをよく知っていて、いざという時にヘルプに入って下さるのはとても心強かったですし、実際にとても救われました。

多くの家庭でホームステイを経験されましたが、コミュニケーションのために心がけたことは

なるべく部屋にこもらず、ファミリーと一緒に何かをしたり会話をする時間を意識的に持つことは大切だと思います。特に1ヶ月以内の短期の場合は極力多い方がいいと思います。私は寝る時しか自分の部屋には行きませんでしたし、最初の1週間以外は仲良くなったホストシスターと一緒に寝ていました。長期の場合は、お互いプライベートな時間を持つことも大事なので、本当の家族と同様、バランスを取ることが大事になってくるかなと思います。また、ステイファミリーの成長期の子供にとって、自分の家族以外との誰かと接する機会は良い刺激になっていたのかなと思います。そのためか、ホストピアレントから子育ての相談を受けることも多かったです。何か悩んだときに、他の家庭の様子をすぐに聞ける相手がいるのは留学生を受け入れるメリットの一つなのかもしれません。

オーストラリアの印象は

州にもよると思いますが、大きい国なだけあり全体的に都会的な印象です。私が留学したタウンズビルは田舎と言われていますが、繁華街はニュージーランドで一番都会のオークランドよりも東京に近い気がしました。出会った人々のマインドも国際的で、外国人慣れしているというか、見た目が違っても話し方が片言でも「外国人」というフィルターをかけられず、普通に接して貰えるのでとても居心地が良かったです。

オーストラリアの人々の印象は

オープンでフレンドリーな方が多い印象でした。初対面の人と話す時も、知り合いと話す時と近いテンションで話す傾向にあった気がします。学校でも、いつも一緒にランチをしがちなグループなどはある程度ありましたが、授業前後やホームルームなどの待ち時間でも、その場にいる人たちと話すというスタンスの子が多かったように思います。パーティーなど人が多い場所でも、大人も子供も誰が元々の知り合いなのか分からないぐらい、全員が混ざり合って会話していました。そのような場では話す内容も必然的に、誰でも入れる内容が多かったです。

ニュージーランドの印象は

一部の都心を除いて、とても静かです。車社会で、高額なタクシー以外の交通機関がほとんどないため、車が運転できないと行動範囲がとても狭まります。私がいた場所では国際的なオーストラリアと比べると、外国人は外国人、留学生は留学生という括りで見られました。それは留学生向けのプログラムが充実している学校が多いことが要因の1つだと思います。私はどちらかというと現地に溶け込みたいタイプでしたので、インターナショナルリーダーという顔を持ちつつも現地の子達と同じように行動してきた結果、良い意味で周りから特別扱いされることが無くなった気がします。

ニュージーランドの人々の印象は

どちらかというと、人によって距離感をコントロールする傾向が強かったかもしれません。学校生活では仲の良いグループはほぼ 固定で、誰がどこに属しているのか大体みんな把握しています。生徒も先生も、誰かを探す時にはその人がいつもいるグループの人に聞くぐらい、明確でした。グループではそのメンバーにしか分からない思い出話やエピソードで盛り上がったりすることもありました。基本的に、大人数の集まりや、周りにその話題と関係ない人がいても、会話している相手とは個人的なことやかなり深い話をすることが多く、それが許容される雰囲気が全体的にあったかなと思います

異文化を痛感したことはありますか

実はあまり異文化と感じたことがありません。「人によって、家庭によって、考え方が全然違う!」という点はどの国も同じだと思います。ですから、国内でどこかの家庭に下宿したら、留学のホームステイと同等ぐらいのインパクトがあるのではないかな?と想像しています。「オーストラリアはこうらしい」、「NZは・・」と想定しても違うことがたくさんあると思うので、先入観を持たず、国というよりそこの家庭のあり方を知って楽しむことをお勧めします!

最も印象に残っているホストファミリーは

どのファミリーもそれぞれ思い出が沢山ありますが、やはり一番最初にオーストラリアでお世話になったファミリーは、最も強く印象に残っているかもしれません。滞在して強く感じたのは、自分が今幸せに生きているから、心に余裕を保っているからこそ周りに対しても寛大でいられるのかなということ。私もそういう人間でありたいなと当時も今も思います!家庭のあり方を知って楽しむことをお勧めします!

◎マンナミより、舞台裏ストーリー

日々様々なことが起こる長期留学環境下、サポートさせて頂くうちに、ミユさんが変わっていかれる様子をよく覚えています。通常は、何か問題があれば、ご両親・私たちサポートへと相談があり、現地の学校や先生方に相談を入れる流れになりますが、やがてミユさんは、これでは自分の言いたいこと。伝えたいことがそのまま伝わらないことがある、と感じ始めたのでしょう。その結果、学校や先生に「自分で話します」と言われるようになりました。それ以降、何事も自分で考え、対処しようとするミユさんの姿が印象的でした。インタビューにもありましたが、人にお世話にならなければ続けられないバレエ・ダンスも自分の力で周囲の皆さんに送迎や協力をお願いしていました。

様々な取り組みの全てを通して、高い語学力、対応力を身に着けられ、自分で目標を定め追い続ける情熱と粘り強さが魅力の女性に成長されました。変化で驚かせてくれるミユさん、今後も目が離せません!

取材:庄司 裕見子(フリーライター)
2008年~19年、創業経営者に特化し、経営誌、番組制作、企業家賞主催などを
手掛ける企業家ネットワークグループ(現「企業家倶楽部」)で記者、編集作業、
広告営業等に携わる。88年~93年ベルギーに在住し、CAとしてベルギー航空に勤務